なぜ病気したり大けがしたりするんだろうって
謎だったけど
その原因は?
病気になった時
なんで病気になったのか?
原因は何だったのか?
って考えたりする
風邪とか腹痛とかなら
あの時ああしてたからなぁ、今度は気をつけよう、と
その時の対処で大丈夫なことが多いけれど
大病や大けがの場合は、そうはいかない
長年の積み重ね
家族性(遺伝的要因)
ご先祖様
生活環境
長い時間掛かって病気に至ったのだから
治るのにも長い時間が掛かる
こともある
そうじゃないものも、ある
病気にはどんな教えがあるのかな?と思って
「体」という入れ物に「魂魄(精神)」が入っているとなると
体あるいは魂魄のどちらかに端を発していると、ざっくり考えてみる
「体」という物質的な不調は外科内科など
「魂魄」の不調は、病院に行けば心療内科など
診断して病名をつけて、対処・治療してくれます
ところで病院では、診断がついて初めて治療が行えるもの、なのだそうです
なので、初めは原因が分からなかったけれども
やっと診断に辿り着けて治療開始に至ったという話は珍しくないそうです
さりとて
殆どの病気は診断が可能で
治療法もある
薬もある
そんな中、どこに行っても治らないっていうのは
やっぱり理解しがたい奇怪なことなのかもしれません
原因の存在範囲がこっからここまでって
定義されている中に無いから奇怪なのであって
身の回り全てに原因である可能性があると
視点を変えれば
決して奇怪なことではないって直観できると思う
原因が見えて対処方法が分かれば
あとは、治療をすればいいだけ
やるか・やらないか
自分の価値観以外のものを受け入れるのか
そうではないのか
普段処方される薬にだって
何で治る(効く)か分からないけど
日常的に使われているものは少なくない
ワタクシ自身が
全身麻酔を使った手術を受けた後に
全身麻酔がどんな仕組みで効いているのか
分かってないって聞いて
何とも言えない気持ちになりました(-_-;)
(解明は進んでいるとは言え厳密には未だ分かっていないそう)
行動できるか
目に見えていない
物理的に存在しない
けれどもこの世に存在しているもの
による不調や病気の改善方法もあるって思えると
解決の選択肢が増えるよね
選択肢の幅が広がることは
とても意義のあることなのではないかと思えます
少なくとも
ワタシは選択肢の幅が与えられていたから
いま、生き延びていられている
どうしていいのか分からないことは
世の中いくらでもあるから
感じたまま
これだと思うものに
従うこともいいんじゃないかな